前回、若宮正子さんを紹介したところ、「勇気が出る」という声と同時に、「やっぱり特別な人だから」という感想もいただきました。
確かに、彼女は特別な誰かかもしれません。
でも、最初からこんな人生をプランニングしていたわけではないと思うのです。今日紹介する女性も 予期せぬ出会い。偶然の一皿。 それが、人生を変えることがある。そんな偶然の出会いからの人生のお話しです。
37歳まで料理に全く興味がなかったアメリカ人女性、ジュリア・チャイルドさんの物語です。

ジュリア・チャイルド – 37歳までの”普通の人生”
ジュリアは1912年、カリフォルニアの裕福な家庭に生まれました。 身長188cm。スミス・カレッジを卒業後、広告業界で働き、特に目標もなく過ごしていました。
第二次大戦が始まると、CIAの前身であるOSS(戦略諜報局)に入り、スパイではなく事務員として働きました。 そこで10歳年上のポール・チャイルドと出会い、1946年に結婚。
料理?全く興味がありませんでした。 結婚前に通った料理教室でも、夫から「ひどい料理だった」と言われるほど。
そんな彼女の人生が、一瞬で変わります。

人生を変えた、たった一皿
1948年、夫の仕事でパリに赴任することになったジュリア。 パリへ向かう途中、ルーアンという街で昼食を取ることにしました。
フランス最古のレストラン「ラ・クロンヌ」。 そこで初めて、本物のフランス料理を口にします。
牡蠣。 舌平目のムニエール。 サラダ。 ワイン。
彼女は後にこう語っています。
「それは私の人生で最もエキサイティングな食事でした。 一口食べた瞬間、これが私が人生で探していたものだと気づいたのです。 あの味を知ってから、私は決して後戻りしませんでした」

37歳。 たった一皿が、人生を変えた瞬間でした。
ル・コルルドン・ブルーへ – 遅すぎることはない
ジュリアはすぐに、パリの名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」に入学します。
最初は主婦向けのコースに入れられましたが、あまりに初歩的すぎて満足できず、 レストラン経営者向けの本格的なプロコースへ変更を希望しました。
クラスメイトは、退役軍人の男性たち11人。 188cmの長身の彼女が、男性ばかりのキッチンに立つ。 でも、ジュリアは全く臆しませんでした。
「私は戦時中、男性ばかりの環境で働いてきたから、全然平気だった」
そして1951年、コルドン・ブルーを卒業。 フランス人の友人二人と料理学校を開き、10年かけてレシピを研究し、 1961年、『Mastering the Art of French Cooking』を出版。 大ベストセラーになりました。
1963年、51歳でテレビ番組『The French Chef』がスタート。 アメリカ中の家庭に、フランス料理の楽しさを伝える存在になりました。
私の次女も、ル・コルドン・ブルーへ
実は、私の次女もコルドン・ブルーに入学しました。
娘は中学生の頃から「パティシエになりたい」と言っていました。 「卒業したらお菓子の国、フランスに行きたい」と。
中学を卒業してすぐにフランスに飛びたいといった彼女を何とか高校まではと説得して、高校を卒業すると同時に、本当にフランスへ飛び立ちました。 今、娘は食の仕事で、自分自身と人を幸せにしようと生きています。
ジュリアは37歳で気づいた。 娘は中学生で気づいた。
年齢は関係ない。 「好き」という気持ちに気づいたとき、それに従う力は、年齢に関係がないんですね。

好きという気持ちに、忠実に生きる
「終活」という言葉が溢れる中で、私が提唱する「結活」。
それは、人生の終わりに向けた準備ではなく、 最期まで生命力を感じて生きること。
好きというシンプルな気持ちに忠実に従うこと。 それは、自分を愛し、大切にすることです。
ジュリアは、最初からシェフになろうとプランニングしていたわけじゃない。 たった一皿との出会いが、人生を変えただけ。
娘も、完璧な計画があったわけじゃない。 ただ「好き」という気持ちに従っただけ。
あなたの「好き」は、何ですか? その気持ちに、従ってみませんか?
次回は、「特別な人」と「普通の人」。 その違いは、本当にあるのか?を考えてみたいと思います。
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