偏見は、出会いによって溶けていく

person holding a black and white book

昨日、買い物の帰り道、思いがけない光景に出会いました。

細い道を歩いていた白髪のおばあさんが、ゆっくりと座り込んでしまったのです。はたから見ても、どこか体調が悪いのは明らかでした。私は迷わず車を停めて、声をかけました。

その時、反対側から自転車に乗った子どもたちが近づいてきました。同じ光景を見た彼らは、次々に自転車を降りて、そのおばあさんに声をかけ始めたのです。先頭にいたのは、元気なハーフの子どもでした。

Three people on bicycles pointing at something.

私の心には、その瞬間、二つの感情が同時に湧き上がりました。

一つは、純粋な優しさへの感動。もう一つは、自分自身への気づきでした。

「今時の若い子は、人に無関心だ」

いつの間にか、私はそんな風に思い込んでいたのです。でも、目の前の子どもたちは違いました。迷うことなく、自然に、人を助けようとしていました。

ああ、これは私の偏見だったんだ。

black chain

偏見は、誰もが持っている

偏見って、特別な人だけが持つものじゃないんですね。私たちは誰でも、自分の経験や見聞きした情報から「こうだ」と信じ込んでしまうものを心の中に抱えています。

「年を取ると頑固になる」 「若い世代は自分勝手」 「一人暮らしは寂しいもの」

そんな思い込みが、いつの間にか心の中で固まって、塊になっていく。そしてその塊が、新しい出会いや可能性を遮ってしまうのかもしれません。

a stack of old suitcases sitting in front of a building

出会いが、心の塊を溶かしていく

でも、昨日の子どもたちのように、思いがけない出会いや光景が、その固まった心をほぐしてくれることがあります。

世の中そんなに悪いもんじゃないってね。

氷が少しずつ溶けていくように、長年信じてきた思い込みが、じんわりと解けていく。その瞬間、心がふっと軽くなる。

もし偏見が解けたら、きっと行動は少しだけかわっていくかもしれないという期待。

今までの私は、子供たちは無関心で素通りするに違いないと、助けるのは自分しかいないと凝り固まった考えでいました。

でもこの偏見を溶かしたら、他にも自分に言い続けていた色々な制限

例えば、自分には無理無理 と思っていたこと。

偏見という色眼鏡を外したら、そこには新しい景色が広がっていくのかもしれない可能性を感じたのです。

white and blue abstract painting

人生の後半だからこそ

年齢を重ねて、経験を積んで、人生の後半に差し掛かった今。

終活が「終わり」に向けての準備なら、結活は「旅立ちの日」に向けての未来の活動です。その日まで、どう過ごすか。どんな自分でいるか。

偏見から自由になった心は、軽やかです。新しい気づきや、思いがけない関わりを受け入れる余白ができます。

「もう年だから」という言葉も、実は偏見かもしれません。

むしろ、長く生きてきたからこそ、固定観念が溶けた時の開放感は大きい。残された時間が、より豊かで可能性に満ちたものに見えてくると信じています。


selective focus photo of brown and blue hourglass on stones

昨日出会った子どもたちの優しさが、私に教えてくれました。

心の塊は、いつでも溶かすことができる。 そして、溶けた先には、新しい自分が待っている。

旅立ちの日まで、私はまだまだ変われる。まだまだ、新しい出会いがある。

それが、結活の本質なのかもしれません。#結活 #結葬

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