先日、喫茶店で友人とお茶をしていた時のことです。
「私には息子がいるけど、息子には墓守が荷が重すぎるから墓じまいしようと思ってるの」
友人はそう言いました。
「それだけじゃなくて、檀家という考え方。うちには特定のお寺様との関わりがあるんだけど、息子はそれにもピンと来ていないみたい。先祖代々という考え方にも馴染みがなさそうだし。だから、仏壇も小さいものに変えていく方がいいかな、って思ってて」

コーヒーカップを両手で包みながら、友人はそう話してくれました。
親の深い愛情
友人の言葉には、息子さんへの負担をかけまいと思う想いと共にどこかしら寂しさを感じさせました。「重荷を背負わせたくない」「負担をかけたくない」という親心。これは、終活を考える多くの親が抱いている、とても自然で優しい思いだと思います。
そして同時に、こんなことも考えました。
息子さんは、このことをどう思っているのだろう?
親子で、この話を一度ゆっくりしてみたら、何が見えてくるだろう?

もう一つの可能性
私が提唱している「結活」は、終わりに向けて準備する「終活」ではなく、生きている間に大切な人と繋がり直すことです。
墓じまいや仏壇を小さくすることは、終活の一環として、とても現実的な選択だと思います。
でも、それを決める前に、もしかしたら一つ、素敵な可能性があるかもしれない。
それは、この話題をきっかけに、親子で改めて語り合うこと。
「私はこう思っているんだけど、あなたはどう?」
その対話の中で、お互いの本音や、家族の物語が見えてくるかもしれません。
墓も、仏壇も、檀家制度も、確かに「形式」です。
でも、その形式の先には「繋がり」があります。
形式を手放すことは悪いことではありません。
ただ、手放す前に、その先にある繋がりについて、大切な人と一緒に考えてみる。
それが、結活なのではないかと思うのです。
次回は、その「対話の前に自分に問いかけること」について、もう少し考えてみたいと思います。

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