私の価値観を180度変えた、喫茶店での出会い
結活を始めた当初、私には明確な想いがありました。
「元気ではつらつとした高齢者を増やしたい」
私はきっと、元気な高齢者の方がいいだろう。だから励まし、元気づけることが良いこと。そんな前提で活動を考えていました。
でも、近所の喫茶店での何気ない出会いが、その考えを根底から覆すことになったのです。

「元気じゃないよ」
ある晴れた日、喫茶店で隣の席に座った知り合いのご夫婦。
「天気がいいですね、久しぶりですね、元気でしたか?」
私の何気ない挨拶に返ってきたのは、予想外の言葉でした。
「元気じゃないよ」「調子は良くないね」
夫婦で喫茶店に来れて、お元気そうに見えたので、その返事に驚きながらつい励ましの言葉をかけようとした私。でも、それは相手を喜ばせるものにはならなかったのです。
心に刺さった奥様の一言
さらに追い打ちをかけるように、奥様からこんな言葉が。
「本当にダメなら声をかけるから、そっとしておいてほしいのよ。」
この一言が、私の胸に深く刺さりました。
奥様はテニスを始めたそうですが、若い人たちとの関係に気を遣われるとのことでした。楽しいはずのテニス、追いついてはいけない自分の足に、逆に足手まといのような気持ちになってしまうのだと言います。皆は優しさで助けてくれるのに、心の中では「必要な時だけお願いするから、その都度声をかけたり 助けにこないで欲しい」
と思ってしまう複雑な心境を教えてくれました。

私は一体、誰のために活動していたのか
このお話しで、ハッとしました。
元気な高齢者を作りたいと思っていたけれど、実は自分が大きな勘違いをしていたのだったのかもしれない。
相手のためではなく、自分のための活動になっていたのではないか。
「迷惑をかけたくない」と言いながら、本当に相手が何を迷惑と感じているかを理解していなかった自分に気づいたのです。
新しい「結活」の定義
この気づきから、私の中で結活の定義が大きく変わりました。
元気な高齢者を作る → 今の自分で納得することを積み重ねる
年齢に関係なく「あなたがあなたの状態でいい」ということ。
年を取ったからといって、出来ないことが増えたからと言って、弱いことがダメではない。
今の自分で納得できることを、終わりまでのゆっくりの時間で積み重ねていってほしい。
そんな想いに変わったのです。
「変えたい」から「広げたい」へ
もう一つ大きな変化がありました。
以前は「誰かの意識を変えたい」という気持ちが強かったのですが、今は違います。
誰かに伝えたいというより、みんな抱えているものがあってそれはそれでいいということを広げたいのだ。
自分の中の更新・アップデートが、人生の納得につながるかもしれない。そのプロセス自体にワクワクしているのです。そんな感覚をいくつになってもそれぞれ自身で感じてほしいのです。

これからの発信について
私の日々も相変わらず、雨の日や晴れの日があるように、ただただ思う事を綴っていきたい。
そして、私の信じてきたこともこんな風に変化するように年齢とともに変容を楽しんで生きて行きたい。
「雨を降ることを止ませることが出来ないように、人生も自然な流れに生きるのだって悪い事じゃない」
そんな日常の気づきを、言葉にしていきたいと思います。
結活とは
人生の終わりに向けて元気でいることを強要するのではなく、今の自分の状態を受け入れながら、納得できることを積み重ねていく活動。
喫茶店でのご夫婦との出会いを通じて、「年寄りは元気じゃないといけない」という思い込みから解放されました。
優しさの押し付けではなく、その人がその人らしく生きることを支援する。
それが本当の結活なのだと、そんなことをテーマにしながら続けていきますね。
この気づきが、私の結活の原点です。同じような想いを持つ方に、少しでも届けばと思い、ここに記録として残しておきます。


