昨日の続き:親の「迷惑をかけたくない」を受けて
昨日は親世代の複雑な想いについて書きました。「迷惑をかけたくない」と言いながらも、実は適度なつながりを求めている親の本音について。
では今日は、その想いを受け取る子供側の立場で考えてみたいと思います。

子供だって複雑な気持ちを抱えている
「してあげたい」という気持ちは確かにある
多くの子供世代が抱いているのは:
- 親には元気でいてほしい
- 後悔しないよう、やれることはやりたい
- できる範囲で力になりたい
という真摯な想いです。これは間違いなく本心です。
でも現実は「人生のステージ」に左右される
しかし、気持ちと現実は別物。自分がどの人生のステージにいるかによって、できることは大きく変わってしまいます。

人生のステージごとの現実
子育て真っ最中の時期:「やりたくてもできない」
20代後半〜40代前半:
- 子供に手がかかって精一杯
- 仕事との両立だけで限界
- 親のことを考える余裕すらない
- 「申し訳ない」と思いながらも、物理的に無理
この時期の子供世代は、親の「察してほしい」気持ちを理解していても、応えられない現実に苦しんでいます。
子育てが一段落した時期:「やっと自分の時間と思ったら」
40代後半〜50代:
- 子供の手が離れて、やっと一息
- 「これから自分の時間を大切にしよう」 と思った矢先
- 親の介護や様々な問題が一気に押し寄せる
- 特に女性は「私の人生は永遠にお世話で終わるの?」と暗澹とした気持ちに

特に女性が抱える深刻な想い
「お世話の人生」への絶望感
日本社会の現実として、介護の担い手は圧倒的に女性に偏っています。
子育て中は子供の世話
- やっと解放されたと思ったら親の介護
- 「私の人生って何だったんだろう」
- 先が真っ暗に思える瞬間
この感情は決して自分勝手なものではありません。人として当然の想いです。
罪悪感との狭間で苦しむ
- 親を大切にしたい気持ちは本物
- でも自分の人生も大切にしたい
- この二つの想いの間で引き裂かれる
- どちらを選んでも罪悪感が残る

良い加減になるための知恵
お互いに無理をし合わないことの大切さ
理想を言えば:
- 自分の人生を大切にした上で
- 親のことも無理のない範囲でする
これが一番健全な形です。
でも「タイミングは選べない」現実
しかし現実には:
- 親の体調悪化は突然やってくる
- 子供の人生の都合など関係ない
- 準備していても、いざその時になると戸惑う
本当の想いを伝え合う難しさと必要性
話にくいけれど大切な対話
親子それぞれが抱える本音:
親の本音:
- 「迷惑をかけたくないけど、完全に切り離されるのは辛い」
- 「適度に関わってほしいけど、それを直接言うのは申し訳ない」
子供の本音:
- 「やってあげたいけど、今はこれが精一杯」
- 「自分の人生も大切にしたいけど、それを言うのは薄情に聞こえる」

中庸による関係性の模索
完璧な答えはないからこそ:
- 試行錯誤しながら進むしかない
- お互いの状況を正直に伝え合う
- 「今はこれしかできない」を受け入れ合う
- 完璧を求めすぎない
日本人特有の「想像力」という美徳
「やがて自分も通る道」という視点
私たち日本人の特徴として:
- 親の今の状態は、やがて自分の老後の姿
- この認識があるからこそ、想像力を働かせて親を慮ることができる
- 今の親の気持ちを理解しようとする
- 将来の自分のためにも、良いモデルを作ろうとする
世代を超えた共感力
これは日本文化の美しい部分でもあります:
- 単なる義務感ではなく
- 共感に基づく思いやり
- 時間軸を超えた家族愛
まとめ – 完璧でなくていい、正直でいよう
親の「迷惑をかけたくない」という想いを受けて、子供側ができることは:
- 自分の現在のステージを正直に伝える
- できることとできないことを明確にする
- 罪悪感を抱えすぎない
- お互いの本音を少しずつでも共有する
- 完璧な親子関係を求めすぎない
結活を通じて人とのつながりを大切にしてきた私が感じるのは、完璧な関係よりも、正直な関係の方がずっと美しいということです。

お互いの人生のステージを尊重しながら、無理のない範囲で支え合っていく。それが現代の親子関係のあるべき姿なのかもしれません。
人生のステージごとに変わる現実と、それでも変わらない想い。皆さんはどのように向き合っていますか?
結局答えなんてなくて、その時々に最適な解を一緒に見つけていくのが結活なのかもね! #結活 #結葬

